7. ブルージュ国際コンクール

 私がブルージュ国際コンクールを受けたのは1983年の夏でした。このコンクールのチェンバロ部門は3年に一度です。その前年、ベルギーに留学しましたが、できればこのコンクールを受けたいと思っていました。初めてコーネン先生のお宅に伺って弾いた時「ブルージュを受けるか?」と言って下さり、ホッとしました。課題曲が出たのはいつの事だったのかよく覚えていないのですが、予選では「バッハの平均律第2巻のニ短調のプレリュードとフーガ」セミファイナルでは「ファーナビーのファンタジア」本選では「J.S.バッハのトッカータ、ト短調」と「C.P.E.バッハのコンチェルト、ニ短調」の課題曲を含めて15曲用意しなければなりませんでした。

 まず、課題曲が出たところで問題が発生しました。本選の課題曲のトッカータで、手が小さくて届かない箇所があったのです。58,59小節めの左手で9度を弾くのですが、私には届きません。頭を金づちで殴られたようなショックで、家から飛び出して、近くの商店街をうろうろしていました。何故こんなにショックだったかというと、ピアノをやっていた頃、手が小さくて課題曲が弾けない、という事が何度もあったからです。チェンバロでも同じ目に遭うとは思いませんでした。

 気を取り直してコ−ネン先生に電話しました。そうしたら「じゃ、アルペッジョで弾けばいいじゃないか」とおっしゃいました。でも、そこはどうしても音をずらして弾きたくなかったのです。2,3日悩んで、先生の家にうかがった時「この問題に固執するようだけど」と言ったら「Kyoko,音楽ってそういうものか? 」と言われました。この一言で、私は「どんな事があっても音楽を続けていこう」と決心しました。

 そこの部分は思いなおして、15曲に取り組み始めました。ただ、どうしても15曲を思い通りに仕上げる事は難しく、うまく仕上がらなかった曲もありました。ヴァイオリン奏者の若松夏美さんが「私の知ってる子が2人受けるんだよ。2人とも上手なんだ」と言ってたし、参加者は62名もいたので、予選を通ればいいかな、と思っていました。

 予選で弾く曲は前日に知らされ、会場で練習ができました。私が当たったのは「フレスコバルディのトッカータ(第1巻の9番)」と「ヘンデルの組曲第2番」でした。会場練習ではものすごくあがってしまい、ヘンデルを通して弾く事が出来ませんでした。本番前は別室で少し楽器に触れることができたのですが、本番とはタッチが全く違う楽器でやりにくかったです。本番はすごく緊張したものの、なんとかつっかえずに弾けました。

 演奏が終わってから会場をぶらぶらしていると、見知らぬ外国人の聴衆が「よかった」と声をかけてくれました。これはコンクールの最後まで続きました。

 予選通過者は、アルファベット順に発表されました。予選は通りたいと思っていたので、発表が進むにつれ、ドキドキしてきました。「クリストフ・ルセ」が発表されたので「呼ばれるなら次だな」と思っていたら「キヨコ・スジマ(現地読みだとこうなってしまうんです)」と呼ばれホッとしました。

 最初はブルージュにずっと泊まる予定にしていたのですが、ホテルがひどくて、水は茶色いし、部屋に蚊がたくさんいてうるさくて眠れないので(運河が多いので)ひとまずブリュッセルに帰りました。次にブルージュに行った時は、蚊とり線香を持っていきました。

 セミファイナルは2日間に分けられ、私は1日目でした。曲は課題曲と「バッハのイギリス組曲第5番」から数曲と「F.ク−プランの曲」(何を弾いたのか、覚えていないんです)でした。これを指定された時、少し動揺しました。というのも、1ヶ月前に行われた音楽院のプルミエ・プリの試験でやはりバッハの同じ曲を弾いたのですが、すごくあがっていてプレリュードを弾き始めて5,6小節でわからなくなり、最初から弾きなおしたからです。

 子供の頃から試験、発表会など、人前で弾く機会は多かったのですが、止まって弾きなおしたのは、後にも先にもこの時だけです。「もし、同じところでわからなくなったらどうしよう」という不安があり、止まったところあたりの指番号を全部書き込みました。なんとかそこも無事に弾け、自分としてはまずまずの出来でした。

 ブリュッセルに戻り、友達の家でおしゃべりをしていたところ、若松さんが来て「2日目の人はみんな下手だったよ。きっとファイナルに残るのは1日目に弾いた人だから、さらっておいた方がいいよ」と言われました。もう、あまり気力が残っていなかったのですが、一応ファイナルの曲をさらいました。

 セミファイナル通過者を発表する時は、コ−ネン先生もバカンス先から駆け付けて下さいました。発表までにはまだ時間があるだろうと、先生とカフェでのんびりお茶を飲んでいたのですが、若松さんが探しまわったみたいで、カフェで私達を見つけ「Kyoko、通ったよ」と教えてくれました。

 そうです。何と、発表の時に私は現場にいなかったのです。でも、これがかえってよかったみたいです。現場にいたら、きっと興奮したでしょうから。すぐに会場に行き、本選で弾く曲を知らされました。コンチェルトは2,3楽章、それとバッハのトッカータでした。4名残ったのですが、私は1番最初に弾かなくてはなりませんでした。

 前日のオケ合わせは30分だけ。一回通して、気になる部分をもう一度合わせてもらって終わってしまいました。オケと弾くのは初めてだったので、とにかくオケとずれないように気をつけました。

 本選は素晴らしいホールで行われました。ステージに立った時「こんな所で弾けるだけでも幸せだ」と思いました。でも、最初に弾いたトッカータはドキドキものでした。何しろ本選まで行くと思っていなかったので、さらい込んでいなかったのです。弾いていて、足が震えてくるのがわかりました。(手が震えなくてよかった) コンチェルトは気持ちよく弾けました。

 発表は下位から呼ばれました。まず、第5位が呼ばれ、次は第3位でした。もう、ここまできたら何位でもいいと思っていたので、名前が呼ばれて審査員に「おめでとう」と声をかけられ、満足でした。第2位はピエール・アンタイ、第1位はクリストフ・ルセでした。久々の第1位が出たという事で、会場は沸きかえっていました。ちなみに若松さんが言っていた「知ってる子」とはこの2人でした。

 その後、レセプションがあり、審査員にも講評を頂くことができました。審査員はK.ギルバート、J.ハイス、G.レオンハルト、T.ピノック、J.ゾンライトナーの各氏でした。

 このコンクールは私にとって大きな挑戦でしたが、聴衆の方々がとても暖かくてどこでも声をかけて下さったのが一番嬉しかったです。

 今年はチェンバロ部門です。どんな結果が出るのか、楽しみです。


2001.6.27